父から譲り受けたもの

 昨日は父の月命日だった。父は昨年の9月15日に肝臓がんでこの世を去った。
父が余命1,2ヶ月とわかったのは6月の末日のことだった。私は姑を同じ年の3月に見送ったばかりで、突然、父の命の期限を突き付けられ、ハンマーで頭を殴られるような衝撃だった。それでも迷っている時間はなく、私たち姉妹は交代で父のお世話をすることになった。そして、笑い声の絶えない貴重な時間を過ごし、父を見送ったのだった。
あれから1年と3ヶ月、あっという間に時間はすぎた。やることがあるというのは悲しみを乗り越えるには大きな救いをもたらす。しなければならないことに向かうことで、父のいなくなった寂しさより、父がどんなふうに生きてきたのかを考える時間にしてきたように思う。
私たち家族から見ると、父はやりたいことをやり尽して逝った人生だった。それはともすれば<やりたいようにやっていった>わがままな人生であったとも見えるかもしれない。それでもとても子煩悩で、手先が器用で、人間関係は不器用で、人に迷惑をかけることが嫌いで、とても照れ屋な人だった。
自由にやっていると困ったことも出てきたし、父のハチャメチャさに私は反発してきたが、父があちらに逝ってからというもの、その生き様に怒りを覚えるよりは「これが父の生き方」と納得し、家族とは不思議と笑い話になってしまう。父は、自由で自立した生き方をした人間だった。
 生前、父は「生かされている」という前提に立ちつつも、「自分でできることは自分でする」「生きたい」という意欲に満ちていて、亡くなる直前まで誰一人として下の世話になることなく、フラフラな体で立ち上がるために手を借りても自分の足でトイレに行くことを貫いた。自立して生きる意欲に満ちていて、亡くなった直後も、今にも起き上がってくるんじゃないかと思うほどだった。
<自分が、自分が>という我の強い姿といえばそうだろう。若い者に身を任せることなど、娘に手を借りることなど考えていなかったし、そうなる前にあちらに逝ったように思う。
 そういう父を親に持つ私も相当、我欲の強い人間だ。なんでも<自分が、自分が>という気持ちがいっぱいで、人を蹴散らして自分でできることはなるべく世話にならずやろうと思い行動していることがたくさんある。あれ、なんだ、父にそっくりじゃないか。ハチャメチャさ加減も似ているとは・・・。
 生前、迷惑をかけられたこともあり、父に反発して「父のような人間にだけはなりたくない」と思ってきたのに、今の私の中にあるエネルギーは父から受け継いだものだと、父の月命日にふと、気づいたのだった。面白いもので、このDNAを受け継いでいると気づけたことを嬉しいと思う自分がいる。そして私もまた、父のように死の直前まで全力で生きることにチャレンジしたいと思う。きっと生き様の足跡はこうやって残っていくのだろう。私の生き様が、だれかの中にどんなふうに残るのかを見ることはできないが、正直に真心で、力の限り歩んでいこうと思った。

照れくさくて、生前あんまり素直に言えなかったからさ。今、伝えるね。
ありがとうお父さん!