憲法カフェ第2弾!開催レポート

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憲法カフェ 20151206

ぐっと冷え込み、冬の到来を感じる午後のひととき、Kcafe第3回を開催しました。今回は憲法カフェ第2弾。
「私たちと子どもの未来を守る憲法」~憲法によって守られている私たち~のテーマのもと、前回もお世話になった、あすわか所属の種田和敏弁護士を講師に迎えて、<憲法と自衛隊・米軍・集団的自衛権>について、楽しく学び語り合いました。

「憲法」の基礎知識。

まずはおなじみ、あすわか作成の「王様をしばる法」~憲法のはじまり~という紙しばいから、憲法ができるまでの歴史や憲法の役割、存在意義などを学びました。やっぱりこの紙しばいはほんとにわかりやすい!ついでに種田弁護士のナレーションもさらに磨きがかかっていました!(さらに追加情報、「王様をしばる法」で検索するとYouTubeでもナレータつきで見られます。このナレーションはスーッと流れるように聞こえて、紙しばいも自動でめくられますよ)
・おさらいとして・・・「憲法」とは「王様をしばる法」であり、「国民」が「政治をする人」に対して、「~したらダメ」「~しなきゃダメ」と命令するルール(きまり)のこと。憲法は「権力」が好き勝手することをしばる役割を果たしていて、憲法を守らなければいけない主体は「政治をする人」(=国会議員や裁判官、公務員)なのだということ。ここは憲法の大事なポイントでこのような考え方を「立憲主義」という。今年の夏に大騒ぎになった「安保法」は、この立憲主義に反したやり方で政権与党が強引に通してしまったわけで、安倍さんは憲法の縛りをスルッと抜けてやりたい放題になってしまっているということ。

お母さんと一緒に参加してくれた、小学3年生の男の子が書いてくれたメモ。

お母さんと一緒に参加してくれた、小学3年生の男の子が書いてくれたメモ。

「憲法」の基礎知識を学んだ上で、今日の対話の種である<憲法と自衛隊・米軍・集団的自衛権>について。

 <自衛隊・米軍・集団的自衛権>と関連する日本国憲法の条文は憲法九条だ。そこでまずは憲法九条について。日本国憲法は前文で「平和主義」を宣言しているが、具体的に条文に示しているのが九条である。その意味では日本国憲法=九条か!と思うほどスター中のスター、シンボル的存在が九条だろう。でもそんな大スター「九条」の条文を日頃読むことなんてないので、ここで九条の条文を載せておこう。

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この条文をそのまま素直に読めば、「戦争はしない」「戦力は持たない」「やられてもやり返さない」ということ。「戦力は持たない」=自衛隊は持たない、「やられてもやり返さない」=個別的自衛権も認めないということになる。つまり、「政治をする人は、他の国と戦争したり、他の国の人を殺すための武器を持ったりしちゃダメ」ということだ。

憲法九条の文言解釈

憲法九条の文言解釈は、時代と共に変わっている。
憲法制定直後の1946年6月、吉田首相は衆議院本会議で、個別的自衛権の行使をも否定する答弁を行なっている。ところが、1950年1月、吉田首相は日本の独立を見越して、個別的自衛権を認める発言をしている。
そして、警察予備隊の創設、保安隊への改組を経て、1954年7月に自衛隊が発足することになった。時の防衛庁長官であった大村清一が、1954年12月に衆議院予算委員会で「個別的自衛権の行使」と「自衛隊の合憲性」を説明した。憲法の条文では個別的自衛権すら認めていないにもかかわらず、解釈を変えることで自衛隊の存在は合憲であると乗りきっていったわけ。自衛隊ができた時にすでに縄を抜けられていたわけだ。

「違憲判断」と「統治行為論」

 「自衛隊」や「米軍」などについて過去に違憲判決が出ている事例はいくつかある。
1957年に起きた「砂川事件」。米軍立川基地の拡張に反対する反対派が米軍基地に立ち入ったとして日米安全保障条約に基づき、侵入罪で学生7名が裁判にかけられたというもの。「自衛権」と「米軍駐留」が問題になった。東京地裁では「憲法九条に駐留米軍は違反する」とし、全員無罪の判決が出た。ところが最高裁で「統治行為論」を盾に判断しない判決が出された。
統治行為論とは「国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、高度の政治性を有するがゆえに司法審査の対象から除外すべきとする理論のことをいう」・・・なんだか、よくわからない。簡単にいうと、「政治関係の高度な話っていうのは、法律でどうこうっていうのにはなじみにくいので、裁判できるものであってもあえて裁判の対象にはしないで、そのまま政治家の方で考えてもらう」という考え方。「合憲か違憲か、裁判所では判断しないよ。政治で決めてね。」といっているというわけ。
 自衛隊の存在は合憲かどうかを問う長沼ナイキ事件や自衛隊のイラク派遣の差し止め訴訟などもある。これらの事例は、いずれも一度は違憲判決が出ているにもかかわらず、最高裁は「統治行為論」を盾に判断しない形をとっている。
「えーそうなんだ。・・・」と、つい“自分とは関係ないよ的タッチ”で「じゃあ政治家が決めればいいんじゃないの?」と続けたくなる。しかし、“政治で決めてね“とは突き詰めていけば”国民が決めてね“といっているということ。だいたい、政治家は国民から選ばれて国民を代表して政治をする人だし。自分の意思をしっかり表明して政治家を選び、政治を委ねているかを問われているのだと理解した。

憲法カフェ 20151206

集団的自衛権の違憲性について

 この夏、十分な議論が尽くされたと思えないまま、強行採決された「安保法」。法案の問題点との中心は「集団的自衛権」の行使容認は違憲であるという点。元最高裁判所長官や元法制局長官、大多数の憲法学者や弁護士会、多くの市民に至るまで「集団的自衛権」は違憲であると声をあげ、法案成立を反対したことは記憶に新しい。にもかかわらず数の原理に押し切られ、法律が成立してしまった事実がある。ここでもまた、安倍さんがしばっている縄を自らゆるめてしまったわけだ。

「集団的自衛権」「自衛隊」「米軍駐留」は必要か?

 憲法九条から見れば、「集団的自衛権」「自衛隊」「米軍駐留」のいずれも「違憲」であることは明白であるが、現実には3つとも存在する。となると、これらが必要かどうか、何を持って必要とするのかといった視点を持って、自分で考えていくことが大事なポイントだ。
東京大学大学院の井上教授が、文芸春秋スペシャル2015秋号に緊急提言として「憲法から9条を削除せよ」との寄稿をしている。( http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/1387 )
寄稿の詳細はここでは割愛するが、井上教授の主張の中心は、戦後70年が経ち、日本の安全保障のあり方として憲法9条をめぐる欺瞞的な議論に終止符を打ち、実質的なありようを模索すべきだということ。たとえいのちの危機が迫ろうとガンジーの如く、非暴力に徹する絶対的平和主義を貫くのか、国際情勢を見て妥協点を見出し戦争するも止むなしとするのか。つけを払うのは国民になるのだから、理想論だけで欺瞞を続けることなく、現実と憲法を一致させておく必要があるのではないかという主張を展開している。理想だけでは前に進まない現実の中で、それでも高い理想を掲げ、生き様として選択するのか。周りを見て何となく流れに身を任せるのか、一つ一つ自分としてどのように考えるのかを問われている。

憲法カフェ 20151206憲法カフェ 20151206

皆さんはどんな考え、意見を持ちますか?

対話の種をもとに、展開した対話や意見はこんな感じでした。ごく一部を紹介します。

Q. 「自衛隊がなくなったら、どうなるのですか?基地で生計を立てている人たちはどうなるの?」
A. 自衛隊は現在、全国に26万人いるが実はそんなに知られていない。自衛隊がなくなってこの人たちの雇用はどうするのかという課題はもちろんあるし、基地がなくなれば影響は出ることも理解はしている。沖縄では基地が返還された後に大型ショッピングモールを誘致して経済効果を上げている例もある。
「基地があると安心」ということをよく聞くが、もし日本で戦いになった時に真っ先に標的にされるのは基地だろう。そういう意味で実際に基地の近くに住んでいて「安心」と思ったことはない。
Q. 自衛隊が26万人もいるのが驚きだが、自衛隊が国防以外の役割を果たすとしたら、26万人も必要か、またどのような活用の道があるか?
A. 実際にどのくらいの人数が必要になるかは想定できない。東日本の震災などでも活躍した通り、自衛隊は災害時に派遣されることが度々あるが、自衛隊の役割は国防が第一であるので、災害対応の装備や訓練などはなされていないのが実情。災害救助の場面ではレスキュー隊の方が専門で、自衛隊の装備は大きすぎたり、重すぎて災害救助の現場では使えないなどの不具合もあったりして、自衛隊自身も歯がゆいものを感じている。自衛隊の役割を国防から人命救助などの貢献に転換し、警察や海上保安庁などとも協力して、サンダーバードのような、「国際救助隊」として活用するなど、できることは多くあるのではないか?そのために、国民が自衛隊の進むべき方向性を議論することも必要になるだろう。
自衛隊は、災害訓練はしていないが、軍隊の隊員としての能力を上げる訓練として「武器なしで相手を倒せる」訓練をしている。自衛官にインタビューしたとき、自衛隊に入隊した動機を聞くと、皆、口をそろえて「災害時の人命救助」と言っていたが、上官からは「あくまでも自衛隊は「国防の基盤に資する」役割が第一義だとフォローが入る。隊員はみな、自分が戦地に行くとは考えていないし証拠だろう。自衛隊そのものが自己矛盾を内側に持っているということではないか。
Q.「安保法」成立以降、いろんな人と議論する時、相手の言い分にあっさり議論負けしてしまう。もっとしっかりと学びたいと思うが、新聞など何を見ていけばいいか

A. どちらがいい、悪いという主義主張のやり取りは水掛け論になるので、冷静に対応することが大事。自分がどういうスタンスを持っているのかを明確にした上で、他の考え方を聞いていくことだし、その中で建設的な議論をしていくことではないか。自分自身は、非暴力に徹する絶対的平和主義であるけれど他の人はどうか、そしてその意見を踏まえていくことは大事なことであると考えている。いろんな意見があり、その中で議論を尽くして方向性を見出していくことが大事ではないかと思っている。
新聞の論調として一番右寄りなのは、産経でその後に読売、毎日、朝日、東京と続く感じ。産経も時折いい記事が載ることもあるので、極端な2紙を見ておくと論調がわかるのではないか。

憲法カフェ 20151206

「憲法と自衛隊・米軍・集団的自衛権」の種をもとにした理解や共有はどのようなものであったか、参加者からいただいた感想です。

  • 国際貢献という内容で自衛隊が国防だけでなく、国際救助隊になれるという形になっていけたらいいと思いました。(Y.S‘)
  • もともと憲法どころか政治にも興味がなく、ニュースでやっていても流し見程度だったので、なにもかも初めて聞いたものだったので、現実味がないなーと思いながら聞いていましたが、みなさんの意見を聞いていくうちに、自分のことはちゃんと考えないとなと思いました。(さやか)
  • 自衛隊が災害救助をしている姿を多く見ていたが、実はその訓練をしていないという事実や自衛隊の存在の意味や精神的なものをわかりやすく教えてもらった。(M)

今までは、大きな流れに身を任せていけばそれなりに無難に生きられた時代から、提示されている答えがなく、自分としての考えを持って他の人と考えを交わし、協働できる点を見出す努力が必要な時を迎えていると感じたカフェでした。

憲法カフェ 20151206

FROMスタッフ AFTERカフェ

前回とは違う方にご参加いただいて、言葉を選びながらもしっかりと自分の考えを語ってくださる方も加わって、短い時間の中でも、とても参考になる考え方や捉え方を学ぶことができました。
 種田先生は自分のスタンスをはっきりと持ちながら、自分の主義主張と真反対の考えがあることを見せ、それをしっかりと受けとめていこうとする姿勢を示されていました。今の私は、自分の主義主張と真反対の意見を受け入れること自体が忍耐を要することであり、どうしても自分の意見を押し付けたくなる衝動を抑えるのが精いっぱい。それでは争いの種を作ってしまうのだととても感じています。成熟した議論を展開するには、人間としての度量と成熟度を問われていると感じました。もっと人として自由自在に、大きくなりたい!多くの方と語り合い学びあえる、有意義な時間をもっともっと作っていきたいと思いました。(M)