母の三回忌に寄せて

3月21日は春のお彼岸で、母(姑)の三回忌の法要と墓参りに川越まで出かけた。朝は、風が少し冷たい感じもあったが、だんだんと太陽の日差しに温かさを感じるいい一日だった。

母が逝ってから丸二年。母のことをふと思い出す時、特定のエピソードよりはふんわりとしたイメージが蘇ってくる。生前あれほどケンカしたのに、不思議と苦々しさのようなものは消え去っていて自分の変わり身の早さ!に我ながら関心しているところだ。こうしてこの日の記憶を残そうとブログを書いているが、去年、一周忌を終えた時にも備忘録程度の気持ちでブログを書いていた。ちょっと長いがそのまま掲載したい。

あっという間の一年 (2015.3.22)

昨日は母の一周忌の法要をお寺でしていただいた。 振り返ると、この一年はホントにあっという間にすぎていった。おばあちゃんが亡くなる前日、当日、数週間で忘れてない記憶を書いておきたい。

おばあちゃんが亡くなる前日は、私が健診で肺に影があると言われ通院していた病院の予約日で、ちょうど病院へ行っていた。影の原因がわからないままだったんだが、その日、「一度精密検査をしましょう」とお達しがあり少々がっくりしたまま、パパと待ち合わせておばあちゃんの病院へ向かった。

この前日に、おばあちゃんは容態が少し悪くなり病院の先生から呼び出しを受けていて、病状の説明があるとのことだった。

行ってみると確かに酸素を吸入し、少し息が苦しい状態ではあったが、話をするおばあちゃんは、自分なりに体力回復するために、私にお菓子とか、食べ物を買ってくるようにしきりに言ってくる。私が動かないと納得しない様子が明らかだったので、飴とどら焼きとタマゴボーロだったかを買ってきた。それを口にすることはなかったが、最後まで自分は元気になるのだという気持ちが消えることはなかった。そんな様子で会話もしていたから、まさかすぐにお別れが来るなどとは思ってもみなかったので、翌日また来るねと伝えたのがおばあちゃんとの最期の会話になった。午後3時すぎに私たちは帰って、夜に連絡が入り、おばあちゃんは翌朝4時すぎに旅立った。

最期まであっさりしたもので、まったくおばあちゃんらしいと思った。いつもと変わらず、半分ケンカっぽく、特別なこともなく、自然に逝ったおばあちゃんだった。

息を引き取って2時間後には家に帰ってきて、長年の友人がたくさん詰めかけてお線香と供養をしてくれて、わずかに一日だけ家にいて通夜、告別式と2日間で済んだ。そういう事も含め、おばあちゃんらしい。大きな親の心遣いを感じずにはいられなかった。最後まで親は親なんだなあ。

私の人生にそんな良い出会いがあったことを本当に有り難いとしみじみ思った。 

一通り終わって、私は4月に一泊して肺の精密検査を受けた。検査そのものが結構な負担のもので、受けてみてビックリしたが、実は同じような検査をおばあちゃんも生前に受けていて私は立ち会うことはしていなかった。こんなしんどいものをもくもくと受けてくれていて、検査を終えたあとにしれっと見舞いに来る私に、おばあちゃんは、大したことなかったかのように振る舞っていたんだなと思うと涙が出た。一方で、病院通いと仕事と家のことでめいいっぱいだった私には、検査を終えたあと、ひたすら寝て過ごせたことで疲労困憊の身心を休ませるまたとない一泊になった。ふりかえれば、自分の病気への不安は抱くことなくすごしたわけで、でも今にして思えば、おばあちゃんがついていてくれたのかもなあと。

その後も父のことがあり、胸を痛める日々が続いたけど、でも、すべておばあちゃんが経験させてくれたお陰で、不安や悩みにせず、乗りきってきたとつくづく感じている。

口が悪くて思ったことは遠慮なく言うけど、温かい人だった。私がまた会いたいと思う数少ない人だ。

あっという間に一年経ったけど、なんとか無事に過ごしてきたよ。ありがとう。おばあちゃん。

へえ。あらためて読んでみて、私、おばあちゃんのこと、感謝しているんだなあと思った。

時折、こうして過去の自分をふりかえることは、心を見つめ、気持ちを整えて前に進む力を与えてくれる。おばあちゃんに久しぶりに会えて、嬉しかったなあ。