ポリープさまからのプレゼント

これは個人的な備忘録だが、プレゼントだったと思う気持ちがいっぱいだったので書いておこうと思う。

6月末、主人から「会社の健診で引っかかった。再検査に行かないと・・・」と一言。何の検査か聞くと「大腸」という。近所の消化器科を探して再検査を受けてきた。ポリープができていることがわかった。ついでに痔もあったようで、大きな病院で精密検査をすることになった。消化器科で紹介状をもらい、大学病院を受診。「この際だから、胃カメラで検査もしておきましょう」と言われ、大腸カメラと胃カメラを両方することに。「上からも下からも見るとは、えらいことになったなあ、パパ大変ね」と思いつつ、検査日は順調に決まり、結果を聞いてから切除手術日が決まるとの説明だった。当初、8月8日に結果を聞き、9月に入ってから手術と聞いていたが、予定とは未定。8月2日夕方に突然、担当の医師から電話が入り、説明を聞く8月8日の前日、つまり8月7日に入院できるかどうか、問合せ。主人はなにも言わず、示された予定をスッと受け入れた。で、そばにいる私の方はあたふた。突然の決定で「仕事休まなくちゃいけない、調整がどうなるかな、会議と重ならないといいな」。冷静に考えれば、主人の体にできた悪いところをとってくれる、しかも順番待ちせず手術してくれるというのだから「先生ありがとう!」と感謝するところ。それでも、自分の都合と重なるとそうはいかなくなるのが人間なのだ。でもその時は、こんな自分勝手な心を持っていても全く気づかない私だった。

主人の手術に臨むにあたって、二人の上司に話した折にもらった言葉は大きなヒントとなった。女性の上司は、「悪いところを見つけてもらえたこと、さらにとってもらえることは、まず感謝するところよね。それともう一つは今回のポリープを通して、自分をふりかえる機会にして、これは至らないところだと気づいたら素直にお詫びするといいわね」との言葉。「そっか、何かメッセージがあるのだな。ではそのメッセージを逃さないように、心を静めて、自分の気持ちを見つめる機会にしよう」と心の焦点を合わせるようにした。

で、結局、手術当日は、職場の会議と丸かぶり。それでもしつこい私は「午後の手術に間に合うように帰ってくればいいか」、などと思い、冷たい考えで動こうとしたものの、医師から手術前には来てほしいとの指示。結局、仕事を休むことでお願いすることになった。その時、男性の上司からは「優しい奥さんでよろしくね👍」といってもらい、この二つの言葉が心構えになって動いたのだった。

「全然平気!」と思って、娘と「ボラギノールはだれがいれるんだろうね」とかってバカな笑っちゃうことばっかり言ってた私だったけど、手術室の前に来て見送る瞬間、主人が手術を受けることを本当は堪えている自分の気持ちをようやくつかめたのだった。強がることは得意で自分の本音をつかむことも、それを出すことも不器用でできない私だった。本音をつかまえることができた後、私には神仏の助けなのだと感じる出来事が続いた。

手術を終えた日の夜、仲のいいママ友人から、「Aちゃんをあるイベントに誘ってくれないか」という頼まれごと。自分の不安で埋もれないようにとの神仏からのメッセージだと感じた。心の構えをもって、焦点を定めて声をかけてみた。久しぶりできっかけを失っていたが、チャンスとばかり、メールをした。久しぶりの会話で彼女が語ったことは、かなり重たい決断と覚悟だった。詳しいことは書けないが、それは、主人の母への感謝に気づくきっかけとなった。今の私たち家族の幸せのもとを作ってくれたことへの感謝。その気づきをくれた彼女にはお礼を伝えたのだった。

さらに、独身時代に仲良くしていた同じ年の子が大腸がんでこの世を去った。彼女と仲良しだった友達が泣きっぱなしで知らせてくれた。私もショックだった。いのちのことを考えざるを得ない場面がくるのだった。ここでも不思議なことが。通夜があった日の午前中、独身時代に私たちがお世話になった方から偶然にも別のことで職場に電話があり、私がその電話に出たのだった。私は気持ちを分かち合える人と言葉を交わしたい思いがあった時でビックリしたが、これもまた神仏のお計らいで、皆が繋がっていて共に冥福を祈っているというメッセージ、それをみんなに伝えてほしいという言葉のように感じた。一番悲しんでた友だちにこの出来事を話すととっても喜んでいた。

そして通夜から戻ると、今度は叔母から電話。主人のことを叔父から聞いて心配してかけてくれたという。検査結果の前の夜に来た電話。これも、神仏が叔母を通して天国にいる母が「大丈夫だよ」とメッセージをくれていると感じずにはいられなかった。

検査結果を聞く日、私は別の予定とかぶっていたが、今回は自ら妻の立場を選び、同行した。

主人は今回のことを通して、仕事を空けても上司に助けてもらえたことで安心を得たようだ。仕事の手を抜くことはないが、信頼の気持ちは生まれたようでこれは一つの大きな変化だと思っている。私も主人も目上の人への信頼感を持てないものを持っているだけに、「何でも自分でやらなければ」というツッパリをはずす、いい経験だったように感じている。

私は主人の一連の歩みを見て、”素直は身をたすく”。受けて、下がって、バカになっていけば、最もいい道をたどって解決の道を歩けるのだと教えられた。そして、私は妻として同行して、改めて自分のいたらなさや揺れる本音、必要以上に突っ張らなくていいことをを教えられたように思う。平成29年8月のいい思い出となった。とてもやさしかったとは言えなかった。これは次の宿題になったけどね。