最近、思うこと ~無関心が招くもの~

もともと私たちのカフェは、一昨年9月の安保法案の審議の違和感に端を発して憲法カフェを始めたことが始まりでした。そして今年は7月に参議院選挙があり、私たちは友人や知り合いの方を憲法カフェや「不思議なクニの憲法」自主上映会にお誘いして、市民レベルで憲法のこと、政治のことなどを考える機会を持ってきました。選挙の結果は、憲法を変えようと考えている政治家が衆議院・参議院共に、3分の2の勢力を持つことになり、憲法改正に向けた動きはヒタヒタと進み始まっています。それでもニュースにはほとんど出てくることはありません。

先日、ある憲法カフェで、弁護士さんから学ぶ形式から、一定のテーマでディベートする発展型の憲法カフェに参加しました。改憲派・護憲派に分かれてそれぞれが主張を作る時に、戦前の歴史を学ぶ機会がありました。資料は中学生の歴史教科書でした。教科書には、戦前、政府により徐々に情報統制がなされ、国会で政府を批判した国会議員が1か月後に逮捕されるとか、憲兵と市民がやり取りしている写真に赤字の検閲が入り、新聞には修正された写真が掲載されているなど紹介されていました。国会議員が辞めさせられるというシーン、さしずめ今の次時代であれば、民進党の蓮舫さんが安倍総理大臣を批判してしばらくして、逮捕されるといったところでしょうか。そんなこと起きるはずがないと思っているけれど、ほんの70年前には日本の国で政府の言うことを聞かないものが処分されてきた事実があったのですね。

今、日本人は政治に無関心となって声を上げることすらしようとしない時代になっています。参議院選挙の時、ママ友に話して関心を示してくれる人、あきらかに嫌悪感いっぱいでそれきり疎遠になっている人、じつにさまざまです。一ついえることは、政治ネタは嫌われるということ。残念なことに今の状況は、私たちが無関心でいる間に、どんどん国民に犠牲を強いるような政策が進められているかもしれないけれどほおっておくんですね。特定秘密保護法ができて以来、何を隠されているのかすらわからない時代になりました。共謀罪の審議もしています。知らない、無関心でいる間に言葉を自由に発する機会が奪われてしまう恐れが高まったといえるでしょう。戦前にあった空気感が本当に少しずつ迫ってきているのかもしれません。無関心でいる間に国民の手足に枷がはめられていく。譬えは悪いが、カエルを水の状態から鍋で少しずつ煮ていって、気づかないうちに煮あがったのと同じ状態。日本の国民の無関心が招く危機。それでも、今はほおっておいても私たちの時代には、直接のつけは感じないでしょう。ダイレクトに負担を感じ、払うのは私たちの子どもたち。痛み分けをしていかないといけないという思いを強くしました。

世界に目を転じてみると・・・

ちょっと前にあったイギリスの国民投票では、EU離脱派が勝利。「こんなはずじゃなかった」と国民投票を再度求めるといった動きがありました。最近、ブレア元首相は「国民の意志で離脱撤回も」などと言う呼びかけも。

つい先日、アメリカではトランプさんが次期大統領に決まり、株価は乱高下。史上最悪の選挙と言われ、だれもがクリントンさんだと思っていたけれど、悪口、女性蔑視発言をしているトランプ氏がまさかの当選!!世紀の番狂わせと言われています。選挙直後からトランプ氏の大統領就任を反対するデモが起きている状況もニュースに。国民が自由に主張するアメリカならではの光景です。一説によれば、隠れトランプ氏支持者が相当いて、隠れ支持者の動向が当選に導いたとも。不満を持っている低労働者層に「日本や中国から仕事を取り戻す」と言って支持を広げたトランプさんの勝利だったという見方も。

韓国では国民の信頼を失った朴大統領に対し、国民の激しいデモ。国民の怒りが収まらず、任期前についに辞任の意向を表明。 国民の声が集まれば政治への影響力は計り知れないものがあると見せつけられました。

関心を持つ、持たないの違いが国のありようを変える。あきらめなければ民意は届く。どこまでも自分事にしていくことって、とっても大事だ。

いつでも自分事にできるよう、伝え続けていこうと思いを新たにしたのでした。