陽だまりのような人へ、感謝を込めて。

寒さの中にも、陽だまりで太陽の温かさを感じる時間帯もあった今日は、私の知り合いの方が昨年亡くなってから100日目だった。ご親戚のお宅で百か日の追善供養が営まれ、私もその場に同席させていただいた。

この方は私の姑(以後、おばあちゃんと書きます!!)の長年のお友だちで、私が嫁いでから何かとよくしていただいたご恩ある方だった。お子さんはいらっしゃらず、ご主人を亡くされてから長く一人暮らしをされていたが、気のおけないお友だちと、仲良く助け合っていらっしゃった。私に娘が生まれてからは、うちのおばあちゃん同様、自分の孫のように温かく接してくれていた。娘は、うちのおばあちゃんのお友だちの、おばあちゃんたちにかわいがってもらってきて、幸せな子だとつくづく思ったものだった。

仏教の信仰を持っていて、彼岸やお盆の時期にはご先祖を大切にして、ご先祖さまが喜びそうな美味しいお供物を沢山作っては、仏壇の仏さま、ご先祖さまにお供えを欠かすことはなかった。私はこの方の作る五目御飯が大好きで、真心こもったご飯は絶品だった。彼岸やお盆ではご先祖さまへのお供物で作っているけど、私はくいしん坊で、この方の作る沢山のおかずやごはんをいただくことを楽しみにしていた。この方はお裁縫がとっても上手で、パッチワークをして小さなバッグや大きな布団かけまで作る、手先が器用な人だった。我が子とも呼べる作品を生み出してはご縁のある方へ差し上げていらっしゃった。

この方は昨年10月24日に亡くなったのだが、実はこの日はうちのおばあちゃんの誕生日で、「先にあちらの世界へ逝ったおばあちゃんが迎えにきたのか」と思うと同時に、まったく仲がいいなあ!と思ったものだった。

娘を出産してからもフルタイムで働いてきた私にとって、おばあちゃんのコミュニティーは心の癒しであり、陽だまりだった。いつでも温かい笑顔で触れ合ってくださったことは、私にとって何よりの安心であり、疲れを癒して再び広い環境へ飛び出していくための充電でもあった。

多くを語らず、黙々となすべきことをおこない、穏やかな姿で生きていらしたご生涯に学ぶと共に、ご冥福をお祈りさせていただきたい。

私に陽だまりのような温かさをくださって、ありがとうございました。そちらではおばあちゃんをよろしくお願いしますね!