8月19日、角川財団・朝日新聞社主催のシンポジウムに行ってきました。
タイトルは「激動する世界と宗教」~私たちの現在地~。全3回の連続シンポジウムの第1回目は、「宗教と資本主義・国家」というテーマでした。
このシンポジウムには、池上彰さん、佐藤優さん、松岡正剛さんは全3回とも出演していて、今回は他に、若松英輔さん、碧海寿広さんの5名が登壇して4時間30分を超えるシンポジウム。でも全然飽きることなく、あっという間に時間が過ぎていきました。
あまりにも密度の濃い内容で圧倒されっぱなし。印象に残ったことを2つご紹介します!!
第1部は、池上さんと佐藤さんの対談「宗教は資本主義を超えられるか」
・今、イスラム過激派の自爆テロが世界の各地で起こっている。この状況に対し、池上さんは“イスラムの過激派”というより、“過激派のイスラム化”が起きていると解説。
・イスラム過激派といえば<ジハード>。
<ジハード>は、本来<努力><奮闘>の意味で日本では「聖戦」と訳されることが多いが、厳密には正しくない。イスラムの聖典《コーラン》が神の道において奮闘せよと命じていることが根拠とされる(百科事典マイペディアより)
・イスラムの過激派は、「ジハード」を名乗り、殉教精神をもって自爆することで、自分のいのちの価値を高める発想で動く。実は、最近は過激派のメンターと医師が手を組み、「自殺願望者」を探しているという。「いのちを捨てる決断をしている事が尊く、ジハードをすれば「英雄になれる」と言うと、かなりの確率で自爆テロに引き込むことができるという。
だから、ミクロのレベルでは「自殺願望者」対策が大事という。イスラムの大義より自爆テロで英雄になれる。「自爆したい」という若者が集まってきているという実態があるという。イスラム国の拠点が制圧されつつある今、これからはそれぞれの国の自殺願望者が自爆テロをする様相を呈していくのではないかいう。
社会に希望を見出せず、自分に対する信頼をもてない若者が増えている現実を思うと、先の見えない不安と混乱した社会に希望の光を求めるのは無理なのだろうか。とても考えさせられる内容だった。
第3部は、全出演者による「宗教と資本主義・国家」パネルディスカッション
松岡正剛氏のコーディネートによりパネルディスカッションが展開。その中から。
・「インターネットと宗教・信仰」について。
Q:人間の悩みに対して、AI(人口知能)が瞬時に、客観的に判断し答えを出すようになると、宗教者はAIに置き換わってしまうのでないか。
A(若松氏):苦を持つものに対し、ずっと黙って気持ちを移しとる。苦しんでいる人に解を与えるのでなく、共に苦しみを味わうことが宗教の本義であり、このようなことはAIにはでき得ないことである。
若松氏の回答は、心をとらえ離れない真実を語っているように感じた。この回答の背景には若松氏自身の体験がある。かつてどうにもならない苦しみを抱え、ある神父さんに悩みを聞いてもらうべく出会ったが、語ろうにもどうにも言葉にならず、神父さんを前に5分間、もがき苦しんだ。その時、目の前に座っていた神父さんは共に黙って、若松氏が言葉を発することを待ち続けたという。若松氏は、「悲しむ、悶える、分かち合う」時には、人間の心を理解するために言葉を尽くす必要がある一方で、雄弁な言葉は何の意味も持たない不立文字の2つの相反する世界が存在すること。相反する二つの世界を常に自覚するには、一人になって自分を見る時間が必要だと感じた。そういう時間が宗教として大事な時間になると回答した。
ひとりになって自分の内側を深く見つめていくと、確かに同じ世界が存在していることを見つけることができた。自分を見つめるということは、真実の自己を知ることにつながるのではないか・・・おぼろげにそんなことを感じました。
日本の知の集結したシンポジウム。興味を持たれたら、一度行ってみてはいかが?
http://www.asahi-sympo.com/shuukyo/