2月カフェレポート・憲法カフェ第3弾 開催しました!

 2月のKcafe・第5回は憲法カフェ。「私たちと子どもの未来を守る憲法」~憲法によって守られている私たち~<憲法と国民主権・民主主義・天皇>のテーマで、すっかりおなじみの種田弁護士を囲み、今回は20名近い参加者、老いも若きも共に入り混じって、節分の豆やらチョコをほおばりながら、楽しくかつ真剣に学び、語り合いました。

20160206_憲法カフェ第3弾

 〇「憲法」とは、権力者への不信から生まれたもの

Kcafeの憲法カフェでは、毎回あすわか作成の「王様をしばる法」~憲法のはじまり~という紙しばいを通して、憲法ができるまでの歴史や憲法の役割、存在意義などを学びます。これはなぜかというと、憲法の本質を理解していないと、今現在、様々に取りざたされていることがどのような問題を持っているのかがわからないためなのですね。種田弁護士は、今回も「憲法とは何か」ということをくり返し確認してくださいました。

で、ここでもしつこいが・・・「憲法」とは何か?と言えば、「王様をしばる法」であり、「国民」が「政治をする人」に対して、「~したらダメ」「~しなきゃダメ」と命令するルール(きまり)のこと。

「法」という言葉がつくものには「民法」とか「刑法」という「法律」があるけれど、「法律」と「憲法」の決定的な違いは、「法律」は国民が守る市民社会のルールであるのに対して、「憲法」は公務員が守るルールだということ。ここでいう公務員とは、政治をする人(=国会議員や裁判官、国家公務員などをさす)。

憲法は「権力」を持つ人をしばる役割を持っている。かつて一般市民は、「権力」を持った一握りの人間にいいように支配され、好き勝手にされてきた。つまり、王様(=政治をする人)に任せてひどい目にあってきた歴史があり、市民が、力を持つ人に足かせをつけて自由に動けないようにしてしばりをつけたというわけ。一般市民が権力者へ不信を抱いたことから、「憲法」が生まれた歴史的背景があるわけなのです。

あすわかの紙しばい、絵はかわいいタッチだけど、1枚1枚が表している内容は奥が深いんだよね。一部の人に「権力」が集中して、その人物がよくないことを始めると大変なことになっちゃう。いわゆる“独裁”ということが起きてしまう。これは言わずとも歴史をふりかえれば明らかなわけで、「憲法」は市民自らが主人公になる仕組みを創り出した結晶であり、「憲法」の成立過程は、「国民主権」を勝ち取ってきた歴史といえるんですね。

(You Tube「王様をしばる法」で検索すると見られますよ!)

20160206_憲法カフェ第3弾

〇「国民主権」と「民主主義」について。

 かつて中学校で憲法を習ったとき、日本国憲法は、①国民主権 ②民主主義 ③平和主義 と教わったはず。「憲法は王様をしばる法」とは習っていないけれど、では王様をしばるのは誰か?と言えば国民であるわけで、つまりこれが「国民主権」ということ。「主権」とは国家を支配する権限などと説明されているようだが、何のことやらわかりにくい。そこで、明治憲法と日本国憲法を比較してみると・・・

まず、明治憲法の第1条には「天皇」が主権者とあります。明治憲法下、天皇から命令が出れば戦争にも行ったし、「お国のために死ぬ」こともあったわけ。つまり、天皇がこの国のあり方を決めていたことになります。

一方、日本国憲法の第1条では「国民」が主権者とあります。国民が主人公になったわけ。

「へえーそうなんだ・・・」「でも、この国のあり方を国民である私たち自身で決めようだなんて思ってもいないけど・・・決めるのは政治家でしょ」そんな気持ちがわいてくる。

そして、今日の本題である「国民主権」と「民主主義」。この意味するところはほぼ同義。国民主権」を簡単に言えば、「決定権は国民であるあなたにあるよ。だからあなたが決めてね」ということであり、そして「民主主義」とは「みんなで考えて話し合って決めようよ」ということ。・・・

種田弁護士からの投げかけは続きます。

「あなたは本当に主権者ですか?」

選挙で政治家を選んだら、あとは任せきりになっていませんか?

自分自身がこの国のことを決めようとした時に議論に加わっていますか?

だれが主権者ですか?本当に話し合って決めていますか?

穏やかな口調であるけれど、真剣に向き合わざるを得ない問いかけ。すぐに答えの出ない自問自答が始まった中で、種田弁護士からはもう一つ、象徴の存在「天皇」について。

現行憲法において天皇は「象徴」とされているが、特殊な存在ゆえに人権制約を受けているという。天皇は、職業選択や居住移転、結婚まで、自由に決められないのが現実。人権を制約されている天皇の人権制限がされないようになって初めて日本国の真の自由が来るのではないか?

大きな視点からの問題提起を受け、対話の種がまかれました。

2月カフェレポート・憲法カフェ第3弾

〇皆さんはどんな考え、意見を持ちますか?今回の問題提起をもとに展開した対話や意見はこんな感じでした。ごく一部を紹介します。

Q.「憲法」は政治をする人が守らなければならないものと理解できた。子ども3人も選挙にはいってくれる。それでも自分の意識が政治家に任せておけばいいという感覚がまだまだあるのが現状だが・・・

A.憲法99条には「憲法尊重擁護義務」という条文があって、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とある。これは国会議員をはじめとする公務員は憲法を守らなければならないということを謳っている。そこには「国民」は入っていない。なぜなら国民は憲法を守らせる側であるから。一方で2012年に出された自民党改憲草案の102条にも同じ項目があるがこちらの条文には、「1項 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。 2項 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員はこの憲法を擁護する義務を負う。」とある。憲法は権力を持つものをしばるはずが改憲草案では国民がしばられる側になっている。では、だれが国民をしばるのかと言えば「天皇」ということになっている。これは「立憲主義」を破壊するありようだ。現在の政権は、<国民はよくわかっていないから、目先の経済のことで動いている間に憲法を変えてしまえ>というような傲慢なことを思っているかのような振る舞いが多い。「主権者」である私たちが政治家になめられてはいけないということ。政治家に任せっぱなしにしてはいけない、憲法を守っているかどうかをしっかりと見ていかなければならない。

Q.違憲の法律ができてこれを止める方法はないのか?違憲立法審査権を使えないのか?

A.日本の場合、事件が起き、被害者が出てこなければ裁判所は動かない。これは英米型の考え方に立っていて、日本はアメリカ型の考え方を選択している。それは敗戦後、アメリカの支配下にいたから。それに対して独仏は大陸法といって被害者が出る前でも違憲性が認められる場合、違憲判断を出す。裁判所への信頼が高いといえる。

日本の場合、さらに言えば、裁判所は政治が絡むことに対しては、判断しない態度をとっていることが大半。裁判所が逃げているかのように思うかもしれないが、政治的内容を判断した翌日、上司に呼ばれて家庭裁判所へ異動になったということもあり、積極性を見出すのは困難な現実もある。だから、最高裁判所の裁判官をしっかり見て、「あなたの仕事ぶり、知っていますよ。応援しています」と激励の手紙などを送ってあげると裁判官も心おれずに頑張れる。

 

〇ご参加くださった方の声を少しだけ、ご紹介します。

・憲法とはいったい何?ということがとてもわかりやすかった。そして私たち国民がその憲法の主体になっていかないといけないことも知りました。(W・ママ)

・さっくりとコンパクトにまとまっており、憲法を守ることはみんなが知っていながら、だれが守るのか、明確にしていただいてスッキリしました。(K)

・全く政治に興味がなかったのですが、今回のお話を聞いて子どもと一緒に学びたいと思いました。先生の話が分かりやすかった。私も子供にわかりやすく伝えたいと思いました。

・大日本帝国憲法時代に生を受けた者の一人。300万人以上の犠牲者を出し、100万人柱の遺骨は国外に眠るこの現実。憲法を学ぶ良い機会ありがとう。

2月カフェレポート・憲法カフェ第3弾

Closing Dialogue(from スタッフ)

・今回のカフェは、これまで当たり前にあると思っていて、それがあることに疑問すら持っていなかったことが多いことに気づかされた。「これは本当にそうなのか?」「自分自身はどう考えるのか?」「みんなと考えて取り組もうとしているか?」・・・種田弁護士からくり返し問いかけられる投げかけをきっかけに、今展開していることを自分に引き寄せて考え始めている自分に気づいた。政治というと、考えることが面倒くさくなりがちで、そういうものほど年上の大人たちに任せて、うまくいかなかったらその大人たちのせいにしてきた自分だったことが見えてきて、正直なところ、今は頭をぼこぼこにたたかれているような感覚が続いている。それでも混沌として行き先が見えない時代に生きる人間として、ただ流されて終わらせたくない、みんなで力を合わせて新たなものを創造していい世の中を子どもたちに伝えたいという気持ちがわき起こってくるカフェでした。(M)