第2回 75年前に託されたバトン

K.cafe|憲法カフェ 第2回 75年前に託されたバトン イラスト
K.cafe|K.cafe店長 たまろ

初めまして!
K.cafe 店長のたまろです。
今日からぼくが案内役をさせてもらうよ。コメントも書き込めるので、率直な感想や憲法についての疑問、ご意見など聞かせてもらえると嬉しいな。

では、突然ですが質問です!
下の2枚の絵には何が描かれているかわかるかな。

実はこの2枚の絵は、1945年3月10日(今から75年前)東京空襲の時の記憶を元に描かれた絵。
黒く山積みになっているのは、空襲の被害に遭って亡くなった方たちだそうです。(この絵を描かれたMさんに掲載の了承をいただいています)
2枚目の「用水」と書かれているところにも、水を求めて何人もの人が集まったんだね。どれだけの痛みや苦しみ、恐怖が遭っただろう。

ショックを与えてしまったらごめんなさい。
でも今回あえてこの絵を掲載した理由は、戦争は二度と起こしてはいけないということを、自分ごととして考えるきっかけにしてもらいたかったからなんだ。

バーチャル憲法カフェの第2回目は、種田先生と K.cafe スタッフ3人の対談。みんなも参加してるつもりで読んでみてね!

K.cafe 店長たまろ
たまろ

9月からは憲法条文の解説をしていただきます。今回は「前文」についてです。
前文の特徴、前文のポイントを教えてください!

種田先生
種田先生

前文とは、本でいうところの「前書き」にあたり、憲法で言いたいことをぎゅっと凝縮して、大事な理念や憲法制定の経緯、いろんなエッセンスを詰めています。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

これは前文の最初の文章です。憲法制定の決意が記されていて、憲法の基本原則である「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つが表現されています。この中の

「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」
の一文は、第二次世界大戦があって、そのあまりにも悲惨だった戦争を反省して、二度と戦争を起こさないという決意のもとに作られた憲法だと宣言しています。そして、この前文の後にも、戦争による人権侵害を二度と起こさないことがくり返し述べられていて、徹底した平和主義が貫かれています。

華ちゃん
華ちゃん

戦争を起こした反省から、二度と戦争を起こさないために作られた憲法ということですね。

種田先生
種田先生

そうですね。戦争はすべての人の生命が脅かされます。基本的人権がひどく破られる戦争を起こしたくないと決意したところが、前文の中で一番大事なところです。

華ちゃん
華ちゃん

みんな、戦争を起こしたくないと思っています。

種田先生
種田先生

みんな、「戦争を起こしたくない」と思っているけれど、戦争が終わった直後、憲法を作った人たちと同じように決意したかと言えば、そうではないと思うのです。「戦争なんか起こしたくないに決まってるじゃん」というのも、もしかしたら思考停止状態かもしれません。

憲法前文の最初の一行だけでも読んで、憲法を作った人たちの追体験をして、戦争が終わった当時の日本国民にこの憲法が共感されたことにシンクロしていくことが大事だと思っています。

とんこさん
とんこ

シンクロですか?

種田先生
種田先生

当時、中学生だった現在89歳の弁護士さんが、憲法の前文は衝撃だったと話していました。当時、国民は「政府の行為によって戦争が起きている」と思っていて、「戦争しよう」という気にさせられたけれど、戦争に負けた後、「なんでこんなことしていたんだろう」「なんでうちの息子が死んだんだろう」という風に考えが変わっていった。そこに登場した憲法には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きないように」という決意が書かれていることがわかり、「すごい」と感じたし、周りの人たちも熱狂、共感、歓迎したそうです。

とんこさん
とんこさん

憲法が書かれた当時、血を流した人たちがこの憲法を熱望、渇望し、憲法を受け入れた歴史があるということなのですね。

種田先生
種田先生

当時は上から与えられたものを受け入れた時代。「戦争に行って死んで来い」といわれてもなお受け入れた日本国民は、それでもひどい目にあえば心の底では「なぜだ?」と思っていたのです。だから憲法ができた時、先ほどの弁護士さんは子どもながら、「これで戦争しなくてよくなった」「これで戦争に巻き込まれなくて済む」と思ったそうです。私はこの話を聞いて、当時の人の思いにシンクロしたのです。と同時に、戦争が終わって75年経ち、戦争の記録の継承を含めて、みんなの中から戦争の記憶が薄くなって、憲法がいつできたのか、何が書いてあるのかわからない人が多くなり、危機感を感じました。戦争を起こした反省の上にできた憲法であることを後世にきちんと伝えていかなければいけないと感じたのです。

華ちゃん
華ちゃん

前文は当時の人々の共感、思いを汲んでいて、戦後75年経った私たち世代が憲法への熱望や共感を受け継いでいくことが大事だと。75年前に託されたバトンを受け取るイメージですね。

Tamao
Tamao

75年前に国民が熱望して受け入れたのは「平和主義」であって、そのために憲法ができたことが理解できました。東京大空襲の記憶を絵にして、戦争の悲惨さを伝えようとしている知りあいのおばあちゃんがいるのですが、その方の作品を見せてもらった時のことを思い出しました。

種田先生
種田先生

実際に戦争が起きて、ひどい目にあって、どうすれば二度と戦争を起こさずに済むのかという智恵の結晶が今の憲法で、現実に起きたことを踏まえて書いているから説得力があります。

戦争の悲惨さなどを学んで追体験して、常に戦争が起きるリスクが人間の本質としてある中で、二度と起こさないために何をしたらいいのかを考えることが大事です。「おじいちゃんおばあちゃん、あの時は大変だったよね」で終わらず、「戦争を起こさない」ことこそが大事だということを思い出させ、あらためて認識させるのが前文だと思います。

過去の人たちの思いにシンクロし、シンクロしたその思いを75年経って果たせているのか。日本は「戦争を再び起こさない」状態なのか。日本ががんばって世界をリードして、世界平和に近づけているのか。それらを今一度確認し、そのうえで反省に至ると判断するのなら、日本人は頑張らなければいけないと思うのです。


K.cafe|K.cafe店長 たまろ

憲法の前文について、どんなことが書いてあるか少しでも興味持ってもらえたかな?
わからないことや感じたことなどをぜひぼくたちに教えてね!(この記事の下にコメント欄があるよ。)
このバーチャル憲法カフェは、皆さんと一緒に作っていけたらいいな。

種田弁護士のプロフィールはこちら

次回掲載は、10月28日の予定です。

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