こんにちわ。お盆休みを終え、暑さも戻ってきましたね。今日あたりも、30度越えに+蒸し暑い!じっとしていてもじわっと汗が出てきます。
それでもこの時期の太陽の光は野菜やお米の生育には欠かせないもの。人間は暑くても寒くても、いろいろと言いますが、植物たちはその時々の天候のなすがままに生きている。物言わぬ生き物たちに見習って、心の修養をしたいものです。
さてさて、やや哲学めいたことを書いてしまいましたが・・・8月6日、Kcafeでは久々の憲法カフェを開催しました。
講師はもちろん、あすわかの種田弁護士。私たちのカフェでは最多出演(笑)の先生です。今回は赤ちゃん連れのママさんから、ご年配のご婦人と少人数ですがアットホームな雰囲気で学び合いました。当日の様子を少しだけ、ご紹介します。
冒頭は、いつものように紙しばい「王様をしばる法」(インターネットで「王様をしばる法」で検索するとYouTubeでもナレータつきで見られます。)
この紙しばいには憲法の持つ2つのポイントが描かれている。そのポイントとは、
1.だれがだれをしばるのか?→国民が政治家をしばっている。これが「国民主権」
2.国民が政治家をしばるとは?→これは「立憲主義」という考え方で、立憲主義」とは憲法に定められていることに立って政治をおこなうことである。
憲法カフェで毎回、紙しばいを拝見しているので、「もういいか・・」という気持ちも起きるのだけれど、なぜ毎回、冒頭に見るのだろう・・・と思いました。が、それは「憲法」を作り、その効力が発揮されているかどうかを見極めていく<オーナー>は国民だから!!なんですよね。
でも実際のところ、私たち国民は”国のオーナー”という意識ってあるだろうか。実はそこにものすごい問題点が潜んでいます。
たとえば、オーナーの国民にこんな気持ちがありませんか?
・選挙で選んだ国会議員に託していれば、「なんとかいいようにしてくれるだろう」という楽観主義。
→これってオーナーが雇った従業員の仕事ぶりを見ずに給料だけ払っているようなものではないでしょうか。
・日本は歴史上、お上の言うことを聞いて生きてきた民族であり、お上の言うことには逆らわない。
→これって、“悪代官と越後屋”があちこちにいても、庶民はぐっと泣き寝入りの構図だけれど、ある程度したら、泣かせる庶民を助ける「水戸黄門」のような存在がいつか出てきて、悪代官をやっつける「勧善懲悪」の世界が展開すると期待しているということでしょうか。
もはや、日本人という民族のDNAからは、ものを考える能力は消え去ったのではないかと言いたくなるような鈍さ、自分さえよければいいという小さなところで満足しようとしている。日本人の「思考停止」状態ということですよね。
そんな、私を含め、長らく日本人がなあなあにしてきたことが、ここ数年、<安倍ちゃん>の登場で考えざるを得なくなったということなのでしょうか。さすれば、<安倍ちゃん>の影響力はすごいものがある!なんて、皮肉めいたことを書いてしまいましたが、、いずれにせよ、私たち一人ひとりの「主権者」としての意識を高めるため、あすわかの弁護士さんたちは奮闘してくれているのだとあらためて、気づいたわけです。
種田先生いわく、
●憲法とは、<まるで水や空気のような存在>であり、私たちは普段、水や空気の存在や価値をほとんど意識せず、生活しているが、私たちは水や空気がなかったら、生きることもできない。それと同じように、普段、憲法の存在や価値をほとんど意識せず、生活しているけれど、憲法がなかったら、今のような<自由・権利・暮らし>を守る生活を送ることはできない。つまり、下支えする黒子役を果たしている憲法の存在価値を、失くす前に気づくことが大切。「憲法の条文がなかった時のことを思うとわかりやすい」と静かな口調の中にも、力強く語っていました。
そんなことを確認しつつ、8月6日広島原爆投下の日に「平和」を考えていく議論の種は、「憲法九条」と「九条改正」議論アラカルトでした。
九条と自衛隊の存在って切り離せないものですが、自民党は2012年に出した「自民党憲法改正草案」においては、自衛隊の存在を「国防軍」として明記することが書かれています。いくつか言われている案を提示していただきました。
(当日配布した資料。参考までにURLを載せておきます)
BLOGOS 護憲か?改憲か?4人の論客の「憲法九条案」を比較する http://blogos.com/article/179470/?p=1
佐賀新聞 「憲法九条に自衛隊 自民改憲案たたき台判明」 http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/439913
護憲、改憲それぞれの立場からの考え方、いろいろあることを知りました。
種田先生からは、憲法改正を考えるポイントとしていくつか示されました。
第一に、そもそも改正する必要があるのか。時代の移り変わりにより、現在の規定では不都合が生じる場合に改正の必要があるして、「不都合」があるか、その「不都合」は「だれにとっての」不都合なのかをチェックする。
第二に、仮に改正するとして、改正の内容は良いものかどうか。憲法が「王様をしばる法」という視点から考えることが大事で、縛りが弱くなる、憲法が「王様をしばる法」でなくなるような改正であるものは「×」、憲法の基本構造や王様に対するしばりが強化される改正であるかどうかチェックする。
つまり、憲法の改正が、政治権力をしばる方向の改正なら〇、ゆるめる方向の改正は☓ということ。
ここがチェックポイントであるならば、やはりオーナーである私たち一人一人は、憲法に何が書かれているのか、それによって政治権力に何を委ねているのかを知っていることがどうしても必要になるではないだろうか。
ちょっとずつ議論になり始めた頃、ご参加のご婦人からは「まさか、戦車ってまだ作ってるんじゃないですよね?」という質問が出ました。「えっ」と思われるかもしれないけれど、これって、笑える質問じゃない。そう思っている人って意外に多いんじゃないかと思うのです。「日本は平和憲法を掲げるようになったから、武器は製造していないはず。」という思い込みの言葉なのだろう。武器輸出三原則が事実上、ゆるめられてしまっているなど、現実には、理想の抜け道をいっぱい探って、理想とはかけ離れた現実がどんどん一人歩きしている。ただ、国会議員に任せておくのではなく、学び続け、考えることなのだと感じるカフェでした。
Closing Dialogue(from スタッフ)
今、言われている憲法改正の議論の構図は「オーナー(=国民)が雇っている従業員(=国会議員)」の側から案(自民党憲法改正草案)が出され、従業員が案を出して、少ないオーナーでも決めてもらえるような法律(国民投票法など)を作ってしまっている。しかも「憲法、変えてもいいんじゃない!」と思っているオーナーから選ばれた従業員が3分の2いるということ。実は、従業員を選ぶ選挙に不参加のオーナーが多い状況で選ばれているのだから、オーナーの総意とはいいがたい状況であるはずなのにね。
けっこう危なっかしい状況で、生きるための必須条件を変えようとしている事実がある。でも、無関心な世の中であることも事実。小さな働きかけを繰り返すことしか、今の平和を守るすべはないのだと信じて発信していこうと感じた時間でした。